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005 ひとつの布団で

last update Last Updated: 2025-04-02 19:04:58

 2階建てのハイツの前で、タクシーが止まった。

「降りるぞ」

「うん……」

 車内で二人は、外の景色を見つめ無言だった。

 ルームミラーで二人を見ながら、運転手は「喧嘩中かな」そう思った。

 タクシーから降りた大地は、階段で2階に上がり部屋の鍵を開けた。

「入れよ」

 大地の声に小さくうなずき、中に入る。部屋は10畳のワンルームだった。

 最初に目についたのは、部屋の大半を占めているダブルのベッド。あとは衣服のケース、ラックとテレビ。整頓された小綺麗な部屋だった。

「適当に座ってろ」

 フローリングにクッションとテーブルを置き、大地はケトルの電源を入れた。

「コーヒーと紅茶、どっちが好きだ?」

「あ、うん……じゃあ紅茶で」

「分かった。ティーバッグしかないけど我慢してくれ」

 そう言って海にカップを渡し、ベッドに腰を下ろした。

「……あったかい」

「ちょうど茶葉を切らしててな、そんなんで悪い。てか、寒いのか? 暖房入れるか?」

「ううん、そういう意味じゃなくてね。大地の気持ちがあったかくて、少しほっとしてるの」

「……そうか」

 照れくさそうにそうつぶやき、額を掻く。

「それでどうだ? 少しは落ち着いたのか?」

「うん……ありがとう」

 そう言ったまま、海は口をつぐんでうつむいた。

 室内に重い空気が広がる。大地は立ち上がり、風呂場に向かった。

「……大地?」

「今お湯をはるから、用意が出来たら入れ。今日はまあ……色々あった訳だし、お前も疲れただろ」

「お風呂なら、先に大地が」

「いいから先に入れ。あ、でもあれだぞ? 俺に気を使って湯船に入らない、なんてのはなしだからな。ちゃんと肩までつかって、しっかり体を暖めるんだ」

 そう言って再びベッドに腰を下ろし、ゆっくりと背伸びした。

「……色々あったって言うなら、大地もでしょ」

「ん? ああそうだな。何しろ特急に飛び込もうとした時に腕をつかまれて、ここは私に譲れって見知らぬ女に詰め寄られて」

「そうじゃなくて……それもなんだけど、そうじゃなくて……頬、大丈夫なの?」

「ああこれな。殴られるのは慣れてるからな、大丈夫だ。心配すんな」

「心配……するわよ! 何よあんた、さっきから大丈夫大丈夫ってばっか言って! グーで殴られて、その後引っぱたかれて……大丈夫な訳がないじゃない!」

「まあ、慣れてるって言っても最近ご無沙汰だったしな、確かに少し痛かったよ。喧嘩なんてのも久し振りだったし」

「なんで? どうして私をかばったの? 私たち、ちゃんとお別れしたじゃない。それに大地、あの時泊めてって言ったら断ったくせに」

「正直なところ、俺にもよく分からん。なんでお前の後をつけたのか、俺が聞きたいくらいだ」

「だったら」

「ただ」

「……」

「別れる時のお前の顔が、妙に頭に焼き付いててな。お前、自殺に失敗した割には明るくて、初めは正直戸惑った。何なんだこいつ、こんな軽い気持ちで死ぬやつなんているか? そう思った。そんな適当なやつに俺は自殺を邪魔されたのか? そう思って苛ついた。

 でもな、お前が死にたい理由を話している時、少しだけ本音が見れた気がしたんだ。そしてさっきまでの無駄に明るい言動、それが強がりなんだと感じた。

 まあ、人間ってやつは矛盾をごちゃまぜにした生き物だからな、全部お前だって言ったらそうなんだろう。ただ少なくとも、今の本当は俺に『寂しい』と言った時のお前、そう思ったんだ。だから気になってな、後をつけたんだ」

「……」

「そうしたらお前、本当に見知らぬ男に声をかけていやがった。誘ってやがった。それは別にいい。お前も立派な大人なんだし、自分がしたいと思うことをすればいい。でもな、あの男に触れられて笑ってるお前の顔、あれは嘘の顔だった。心が死んだやつの笑顔だった。だから止めた。声をかけた」

「……なんで……なんで今日会ったばかりの人に、そんなこと言われなくちゃいけないのよ……なんであんたの方が、私のことを分かってるのよ……」

「そんなもん、見れば分かるだろ。お前、今まで人間観察してこなかったのかよ」

「何よそれ……」

 そう言ってクッションに顔を埋め、肩を震わせた。

「ちなみにそのクッション、座布団用に出したやつだ。いつもは俺が尻に敷いてる」

「……馬鹿……」

「ほら、風呂の用意が出来たぞ。泣くなら風呂場で泣いてこい」

 そう言ってカップを取り上げ、海の手を取った。

 海は小さくうなずいて立ち上がり、風呂場に向かった。

「着替え、用意しておくから」

 そう伝えると、中からシャワーの音がした。そして同時に、海の嗚咽が聞こえてきた。

 大地は頭を掻き、「泣け泣け。全部吐きだせ」そうつぶやいた。

 * * *

 風呂上がり。海は大地のジャージを着ていた。

「ぶかぶか……」

「男物だからな、我慢してくれ」

「というか大地、随分大きいけど、身長いくつなの?」

「俺か? 180ちょっとだ」

「そうなんだ……」

「だからまあ、ぶかぶかな服しかなくて悪い。何なら明日、着替えとか買ってこいよ」

「着替えって、明日も泊まっていいの?」

「いいの、じゃなくてさ。そうしないとお前、またさっきみたいに男に声をかけるんだろ? あんな現場見ちまったら、泊めるしかないだろ」

「なんで……どうしてそこまでしてくれるのよ」

「お前には大切な男がいた。その男が死んで、辛くて寂しくて死のうと思った。そうだな?」

「うん、そう……」

「だったら自分を大事にしろよ。見ず知らずの男に体を売って、自分を穢すようなことはするな。それはお前の彼氏に対する侮辱だぞ」

「……」

「それにお前、まだ死ぬつもりだろ?」

「……そうだけど」

「今日は失敗した。折角の覚悟が台無しになった、そう言ったよな」

「うん……」

「だったら覚悟が決まるまで、ここにいていいよ。俺も本意ではないといえ、お前と関わっちまったんだ。最後まで面倒みるよ」

「でも……それだと大地、私が死ぬまで死ねないじゃない」

「俺の中で死ぬことは決まってる。別に焦らなくても、お前が死ぬまでぐらいなら待ってやるよ。それにお前、俺が先に死んだら困るだろ?」

「……」

「と言う訳で、今日はお互い散々な一日だった訳だ。そろそろ寝よう。海はベッド使っていいぞ。俺は床で寝るから」

「そんな、いいよ。大地がベッド使ってよ」

「女は男の見栄を尊重するんだろ? 女を床に寝かす男なんて、聞いたことがない」

「そうなんだけど、それもなんだけど……お願い、聞いてほしいの」

「なんだ、言ってみろ。無茶な要求でなきゃ聞いてやる」

「その……一緒に寝てほしいの」

「はいアウト!」

「そうじゃなくて」

「そうも何もない。それをしたらあの男と一緒じゃねえか。俺がここに泊める意味がなくなっちまう」

「何もその……抱いてほしいだなんて言ってないの。ただその……温もりが欲しいって言うか……とにかく私、寂しいのは嫌なの」

「死んだ男の代わりって訳か」

「……」

「分かったよ」

「え……」

「この問答、どれだけ続けてもお互い納得する結論は出そうにない。だったら俺が折れるしかないだろ」

「いいの?」

「ああ、添い寝ぐらい別にいいよ。でもな、変なところ触ってくるなよ。俺も男だし、あんまり誘われたら襲ってしまうかもしれないからな」

「分かった……ありがとう、約束する」

「じゃあ寝るか」

 一緒に布団にもぐり、電気を消す。大地は海に背を向けた。

「……背中……触ってもいい?」

「……ああ」

 その言葉に安堵し、海が大地の背中を抱きしめた。

「……まあ……これぐらいなら許してやる」

「ありがとう、大地……」

 大地の鼓動が聞こえる。

 海の目から、涙が溢れてきた。

 張りつめていた糸が切れたように、感情がたかぶっていく。

「……」

 大地の背中が涙で濡れる。

 大地は振り返ることなく、海に囁いた。

「体温ぐらいなら分けてやる。好きなだけ泣け。それから……ゆっくり寝ろ」

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